正式名称は、プロレタリア文化革命。
敢えて、一言で言うと、
「指導部の権力闘争に端を発する、超暴力的な大衆運動。」
当時の政府上層部・官僚・知識層を中心に、多くの人間が、
拉致・監禁・拷問・虐殺を受け、社会全体が一時機能不全に陥るなど、
多くの混乱を招いた大衆運動。
(文化大革命という言葉だけ見ると、誤解してしまいますが、
つまり、権力闘争+暴力的大衆運動)
もう少し具体的にいうと、
1966年当時、経済失策で、権力と指導力を失った毛沢東らが、
政権奪取・復権を 図った、政治権力闘争であり、
結果として、
毛沢東らに煽動された大衆は、「毛沢東思想絶対」の名の下、
当時の政府上層部・官僚・知識層を標的に、破壊活動を実施、
(国家主席だった劉少奇も、この拷問の中、死亡)
それは、歯止めの利かない暴力的な大衆運動へと変質・拡大し、
最終的には、自国民による、自国民の
虐殺・文化破壊となり、数百万人から数千万人が被害を受けたといわれた
ほどの結果を招いた。
(北京と上海の活動が最も悲惨だったといわれている)
時期的には、
1966年から、毛沢東が死ぬ1976年までの10年間を指しますが、
社会の混乱時期としては、
1966年〜1969年がもっとも激しかったと言われています。
一応名前の由来は、 毛沢東らが、当時唱えたスローガン、
「正式な毛沢東思想とは違う、
資本主義的な思想が、近年はびこっているので、それと戦おう
=継続的に革命・闘争しよう」
「 下から上へ、この革命・闘争運動を広げていこう」
(下とは、プロレタリア階級)
つまり、それは、
「プロレタリア文化大革命だーー」と言ったことに由来します。
その他補足事項としては、
@運動発生当初、毛沢東の煽動により、
大学生らを中心した、「紅衛兵」という青年組織が設立されたこと。
とくに、
彼らは、文化大革命初期の主要な戦力となり、
毛沢東思想絶対の名の下、
全国各地で、暴力的な批判+弾劾集会・破壊活動を行ないましたが、
最終的には、1968年の毛沢東の号令のもと、
農村へ下放されました。
A批判・弾劾の対象とされた人間は、自己批判を強要され、
批闘大会とよばれるつるし上げが日常的に行われたこと。
B 教師・教授も批判の対象となり、
学校そのものが活動を停止。大学は66年から72年まで閉鎖したこと。
◆参考文献
矢吹晋チャイナ・ウォッチ・ルーム の論文多数参照
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