「上山下郷」、ないしは、「農村下放」とも言う。
知識青年や党幹部が、農村・地方に行き、肉体労働を通して、
思想改造する、なしいは、社会主義建設に奉仕することを言う。
毛沢東思想のひとつであり、1950年代半ばから始まり、
文革時期の60年代末から、ピークを迎え、70年末に終了する。
とくに、文革の主役だった、都市部の知識青年たちのほとんどが、
農村に送られ、肉体労働に従事した。
その数、1500万人〜2000万人。
当然、彼らは正式な教育は受けられず、また、教育機関も麻痺、
国家人材育成にとって、大きな痛手だったともいえる。
チャンイーモウ、チェンカイコーなども、下放を経験している。
チャンイーモウは、父親が国民党の幹部だったことから、
とくに、僻地へ送られたそうである。
70年末から、徐々に、都市部への復帰(都市戸籍復活)が
認められたが、都市も、いきなり、それだけの人口を支える余力がなく、
当初は、独身者優先・幹部優先など、規制があった。
現在でも、一部、農村に残されたままの人もおり、
社会に根深く残る、問題である。
ワンシャオシュアイの両親も、なかなか都市に戻れなかった、
知識青年の一人であり、
映画「青紅」「生死劫」は、この問題を扱った映画である。
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